クラブの歴史


水戸LC・水戸葵LC合同チャーターナイトの様子

日本で最初のライオンズクラブは、フィリピンマニラライオンズクラブのスポンサーで世界で35番目に東京ライオンズクラブが結成されたのが日本のライオンズクラブの始まりでした。

 そして東京ライオンズクラブがスポンサーで東京日本橋ライオンズクラブが、そして日本橋堀留ライオンズクラブを誕生させ、堀留ライオンズクラブのスポンサーで水戸ライオンズクラブが全国797番目、茨城県で2番目のクラブとして1964年(昭和39年)6月11日に会員66名で三の丸自治会館で結成式を挙行して産声をあげました。

 当時の新聞には、会員は指導的立場にある有力者、実業家で結成されたと報じています。1964年(昭和39年)6月11日 三の丸自治会館で挙行された結成式

 その後、1965年(昭和40年)1月30日に水戸ライオンズクラブより24名が移籍し国内861番目県内4番目のクラブとして水戸葵ライオンズクラブが誕生したのです。

翌年に水戸ライオンズクラブ・水戸葵ライオンズクラブ二つのクラブが合同チャーターナイト(認証状伝達式)を茨城県水戸市東原のスポーツセンターで開催し、晴れて国際協会の一員として加盟を認められたのです。

その時には水戸市内に全国から1000名以上がお祝いのために集まってくれました。

市内のパレードは、パトカー先導によって信号は全てノンストップで通過など、物凄い騒ぎであったと当時の新聞メディアに記してあり、水戸市内はライオンズクラブ誕生の祝賀一色となりました。アトラクションは当時のNHKの人気アナウンサー宮田輝さんの司会で三橋美智也、ザ・ピーナッツのショーでチャーターナイトを盛り上げました。

水戸ライオンズクラブはこの時期に県内発展の核としての地域ライオンズクラブの結成に挺身しました。

1965年には早くも大洗ライオンズクラブと常陸太田ライオンズクラブの誕生させ、 続いて1966年には那珂湊ライオンズクラブ、1967年には古河ライオンズクラブのエクステンションを行い、又この年次は常陸太田ライオンズクラブのスポンサーで常陸大宮ライオンズクラブの初孫クラブが誕生したのです。

また、続いて1968年には鹿島ライオンズクラブも結成されたのです。

そして1969年になり、私共のクラブは茨城県として初めての地区ガバナーを出す栄誉に輝きました。

坂本重雄302-E7地区ガバナーの出現となりました。結成当初

クラブあげてホストクラブとしての任務遂行に熱意を燃やしました。

1970年度には韓国ソウル南山ライオンズクラブとの姉妹提携が結ばれたのでございます。

クラブ結成10周年を迎え、1976年度(昭和52年)には鉾田地区に元水戸ライオンズクラブメンバー木城氏を中心にエクステンションを行い、鉾田ライオンズクラブが誕生しました。

1978年度には、水戸市の姉妹都市である敦賀ライオンズクラブと結縁が結ばれ僧楽園に早咲きの梅50本の共同奉仕がなされました。

1981年度には雨森ディピュティガバナーを設立準備委貝長として、財団法人茨城県アイバンクが県内ライオンズメンバーの拠出金により設立され、ライオンズの重要奉仕として献眼推進運動が緒についた年でありました。

 そして現在まで子クラブの盛んな奉仕活動のもとに、孫クラブ 東海ライオンズクラブ・総和ライオンズクラブ・古河東ライオンズクラブ・潮来ライオンズクラブが結成され、更に婦人の協力と婦人の地域奉仕を目的に大洗・総和・常陸太田の各ライオネスクラブが誕生しました。

1986年度には中山正ライオンが水戸ライオンズクラブ2人目となる地区ガバナーに選出され、水戸ライオンズクラブを中心とした合同キャビネットが開設されたのです。

1984年、1990年度に水戸市の姉妹都市であります高松・彦根両市の高松ライオンズクラブ・彦根ライオンズクラブと姉妹提携調印式が両市に於いて挙行され、これを期に各姉妹クラブとの密接な交流により、友情と奉仕の業績を高めることが出来たのです。

そして2006年度には水戸ライオンズクラブ3人目となる幡谷浩史地区ガバナーが誕生致しました。

水戸ライオンズクラブの歴史の上に、茨城ライオン史を発展させた私共の友好クラブ水戸葵・水戸西・水戸東・水戸南・水戸北の5クラブがあります。

水戸ライオンズクラブの歴史は市内クラブの友情応援によるものがあることを銘記するところであります。